物語は心の栄養素

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小説『罪と罰』感想 ~殺人という罪を犯した主人公が、”罰”が如く深く苦悩しながら生きる物語~

罪と罰 上 (角川文庫)

罪と罰』(角川文庫)ドストエフスキー米川正夫(訳)

 

主人公は金貸しの意地汚い老婆を殺害し、その現場に居合わせてしまった老婆の妹も一緒に殺してしまう。

そして主人公は殺人という”罪”を抱え、その罪悪感や周囲の行動から精神的に追い詰められる。

そんな状態で”罰”が如く苦悩しながら生きていく、その先に待つ結末とは?

 

 

以降、ネタバレ注意!!!

 

 

【感想】

読了後の第一印象は重厚だった、その一言に限る。

ラスコーリニコフがアリョーナを殺す決意をするまでの彼の心理描写は、彼の心の中に溜まったドロドロとした吐き出しようのない思いつめた悩みを明確に感じた。

そして殺人を犯してからは、彼が殺人に関する話題を微量でも聞く度に精神がたちまちに混乱して、罪の意識に駆られる描写が克明に記されていて、ラスコーリニコフの気持ちを味わう事が出来た。

結末としては、ラスコーリニコフはソーニャと、ドゥーニャはラズーミヒンと結ばれ、それぞれが隣人愛というべく近しい距離で想いあった人と結ばれた。

特にドゥーニャはその気高く清らかな心の持ち主故に、ルージンやスヴィドリガイロフから我が物にしたいと迫れられるが、その一切を否定して兄や母親を一番に考えて行動しているところが良かった。

 

あと正直に言えば登場人物が多いのと、コロコロと視点が変わるので、僕の読書力が低く完全に物語を理解しきっていないところはある。
何回か読まないと完全に理解出来ない物語だよな…って感じた。
まあラスコーリニコフが自身の書いた論文の”凡人”・”非凡人”の考え方を知った上で、最初から読むと新しい発見がきっとあるんだろうなって思う。

それと僕の教養が無いせいか、偉大な小説である事をハッキリと感じ取れず、明確に言語化出来ないのが正直なところです…(泣

 

 

【美少女万華鏡-罪と罰の少女-との比較】

ここではこの本を読むきっかけになった『美少女万華鏡-罪と罰の少女-』との比較について述べていきます(サブタイトルからこの本に辿り着きました…)

最初に感じたのは夕摩ってラスコーリニコフから罪の意識を綺麗さっぱり抜き取った様な、対極的なキャラクターだなって感じた。

夕摩は平気で自分の実の父親である由紀夫を躊躇いなく殺し、自分の欲望のために悠里をコントロールして、二人で幸せに海外で暮らし物語を終えている。
一方ラスコーリニコフは罪の意識にずっと苛まれて、海外逃亡する選択肢もあった中で殺人以外の悪行は働かずに自ら自首して監獄の中で物語を終えている。

この『罪と罰』は罪に苛まれてる”罰”を主軸に物語を展開しているけど、『美少女万華鏡 -罪と罰の少女-』は両親の兄妹愛の末に生まれた兄妹が歴史を繰り返す様に再び愛し合う”罪”を主軸に物語が展開されている事に改めて気付いた。

 

↓ 参考:『美少女万華鏡-罪と罰の少女-』感想

una-008.hatenablog.com

 

 

【物語の概要】

編と題目ごとに、僕が読んでいた時の内容メモをまとめましたものです。
(さっぱりまとめているので内容の欠落は多いので注意です)

『第一編』

一・二

ラスコーリニコフマルメラードフの不幸について永遠と呪っている話を聞く。

 

母親からのラスコーリニコフに宛てた愛の手紙。

※感想
プリヘーリヤからの手紙をみて、主人公は深く深く愛されてると感じた。
改行もなくすし詰めになった文章は一見ただ書きなぐっただけに見えるけれど、その実テンポよく区切られ、独特なリズムがある。
そのリズムによって奏でられる、母親の娘と息子に宛てた愛の連弾は確実に読み手を引き込み、心地良い気分にさせる。

 

ラスコーリニコフは通りかかった酔った女を助けようとする。
しかし金だけ持ってどこかに行ってしまった事に、ラスコーリニコフは苛立つ。

 

酔っ払いが小さな馬を虐め殺す夢を見る。
その馬を殺す様をみて、気分が悪くなり起きる(馬を老婆であるアリョーナと重ねる)

 

アリョーナを殺す計画を実行に移す行動を始めた。

※感想
ラスコーリニコフの研ぎ澄まされた精神は黒鉛をナイフで削ったかの様にギラギラと尖り、ただそれはその実脆く危うい。
しかしながら尖りきった物を何かに突き刺しその脆さに気付くまでは、先鋭としたモノの気高い鋭さに憧れる精神は怒涛の強さで突き動かされる。

 

ついにラスコーリニコフはアリョーナを殺す。
そして運良く誰にも見つからずに自宅へと帰った

 

『第二編』

警察署から招集。理由は大家に借りていた借金の問題から。
そしてその警察署でアリョーナの殺人の話を聞く。

 

警察署の帰りに親友であるラズーミヒンの家に行く。
殺人を犯したことへの思い、熱を帯びた体がラスコーリニコフの思考をグルグルとかき乱す。

 

三・四

アリョーナの殺人の話が広まり、ラズーミヒンを含めて殺人事件の真犯人について議論する。

 

ピョートルがラスコーリニコフの家を訪れる。
殺人事件の話を交えながら、ラスコーリニコフの罪意識は大きくなる。

 

ラスコーリニコフは居酒屋に行き罪の白状をとも取れる、自分が犯人だったらという仮定の話をする。
そして夜のアリョーナを殺した場所に行く。

 

ラスコーリニコフマルメラードフが馬車に轢かれて死にそうになっているのを見つけ、彼の家に運び医師を呼び出来る限りの事をする。

※感想
ラスコーリニコフを行動は彼がアリョーナを殺してしまったから、自分の目の前で死にかけている人を救うという贖罪に駆られている様に感じた。
いや贖罪というか自分が犯した罪を人を救う事で心に抱えた閊えを解消しようとしている行動の様に感じる。
ラスコーリニコフには何も行動しなければ罪悪感に駆られて精神が悪い方向へただ突き進んでいってしまうから、たとえどんなことでも善良な事をしてその気を紛らわせないと気がくるって死んでしまう様な精神状態だと思う。

 

『第三編』

母と妹がラスコーリニコフの家に来る。
そしてラズーミヒンは妹のドゥーニャに惹かれる?

 

ラズーミヒンは酔った勢いでラスコーリニコフの母と妹を罵倒したことを後悔して、二人に謝罪する。

 

ラスコーリニコフは母と妹と会い、話す。
妹の婚約者であるピョートルの手紙を見たラスコーリニコフは、その手紙の書き方があまりにも事務的(裁判所的)であることに気付き、妹へピョートルと絶縁するよう説得する。

 

ラスコーリニコフが快調に向かう。

 

五・六

ラスコーリニコフは快調して、思考は甚だ明瞭なものへと移行する。
そして判事であるポルフィーリと対峙して、ラスコーリニコフの論文を元に自分の考えを述べる。

そして上巻の最後に、ラスコーリニコフの殺人を知っている謎の男が現れる。

※感想
ラスコーリニコフの論文。
人は『凡人』と『非凡人』に分けれらる。『凡人』は世間で決められたことのみを行い、『非凡人』は世間から逸脱した行動で新しくルールや秩序を制定する者。

『非凡人』は新しく秩序を制定する者だから、既存の物事の善し悪しに捉われない存在。それゆえに『非凡人』は悪しき行い(殺人)などを起こしても裁かれるべきではないと述べられる。

あと謎。
ラスコーリニコフの病んでいた時は全て演技?彼なりの殺人を犯す人間の心理を示すために、ずっとそういう状態に自分を置いていた?

 

『第四編』

ラスコーリニコフはスヴィドリガイロフと邂逅する。
スヴィドリガイロフはラスコーリニコフの近辺を嗅ぎまわっており、様々な事を知っている。

 

ルージンはラスコーリニコフと妹と母と遂に対峙する。
そしてルージンの醜悪な性根が明らかになり、ドゥーニャもルージンの事を完全に嫌う。

 

ルージンがドゥーニャを求める理由は自分だけが夢想する理想の人生像に、自らの奴隷が如く尽くしてくれる意志の強い女が傍に居て欲しかっただけ。
ルージンの持つ汚らしいエゴがドゥーニャにも伝わったから、ドゥーニャも彼との未来を明確に否定する。

そしてラスコーリニコフは一人でどこかへと走り出してしまう。

 

ラスコーリニコフはソーニャに会い、同じ人を殺した者同士一緒に行こうと迫る。
ソーニャは首を縦に触れなかったが、思い悩む。

そしてその二人のやり取りをスヴィドリガイロフは陰で聞いていた。

 

ラスコーリニコフは警察に行き、ポルフィーリと会う。
ポルフィーリはラスコーリニコフに親しげに話しかけ、ラスコーリニコフは弄ばれている様に感じ苛立つ。

 

アリョーナを殺したと自白するニコライというものがポルフィーリの前に現れる。
そのお陰でラスコーリニコフポルフィーリから逃れる事が出来た。

 

『第五編』

ルージン視点で同居人であるレベジャートニコフとの会話が描かれる。
レベジャートニコフは共産主義者でルージンとはどこか馬が合わない。

 

二・三

マルメラードフの告別式が始まる。
ルージンはソーニャ自身に気づかれないように金を渡し、それを皆の前で見せびらかす事でソーニャを罪人にしようと企てる。
しかしその企てはラスコーリニコフとレベジャートニコフに見破られる。

 

ラスコーリニコフはソーニャに自分自身の罪を白状する。

※感想
ラスコーリニコフが殺しをした理由。
以下のラスコーリニコフのセリフが、殺しをした理由を明確に示している様に感じた。

僕合その時知りたかったんだ、少しも早く――自分も皆と同じようなしらみか、それとも人間か、それを知らなければならなかったんだ。俺は踏み越すことができるかどうか?身を屈して拾い上げることを、あえてなしうるかどうか?俺は震えおののく一介の虫けらか、それとも権利を持つものか……

ここでいう”虫けら(しらみ)”と、”権利を持つもの”というのはラスコーリニコフの論文を用いると以下の様に当てはまる。

  • 虫けら(しらみ)=凡人
  • 権利を持つもの=非凡人

ラスコーリニコフは自身が虫けら=凡人(世間で決められたことのみを行うもの)である者になる事を嫌い、非凡人(既存の物事の善し悪しに捉われない存在)になりたかった。
だから殺しという非凡な行いを自分自身のために実行した。

そしてその非凡な行いに対して、自分自身の精神が乗り越えられるものかどうかを試した。
自ら主張した論文の正しさを説明するための行動の様に感じた。

 

カチェリーナが肺病を悪くして、遂に亡くなる。
そしてレベジャートニコフが彼女の娘を孤児院に入れる等の工面すると宣言するが、ラスコーリニコフは彼の行動に疑問を覚える。

 

『第六編』

ラスコーリニコフとラズーミヒンは互いの情報を交換する。

 

ポルフィーリにラスコーリニコフの罪を完全に説明する。
ラスコーリニコフは窮地に立たされる。

 

ラスコーリニコフは現状を打開するためにレベジャートニコフの元へと急ぐ。
しかしレベジャートニコフは自身の敵だと認識する。

 

スヴィドリガイロフが自分の過去をラスコーリニコフに話す。
彼の妻の悪口や、ドゥーニャとの出会いや、最近自身に尽くしてくれる十代の娘について、クドクドと気持ち悪く語る。

 

ドゥーニャとスヴィドリガイロフの対峙。
スヴィドリガイロフはラスコーリニコフを罪をネタにしてドゥーニャに迫る。しかしドゥーニャは決して色欲に駆られた男の提案を良しとせず、彼を否定する。

 

スヴィドリガイロフはドゥーニャに否定され絶望し、どこか別の場所に行こうとフラフラと彷徨う。

 

七・八

ラスコーリニコフは母親と妹、そしてソーニャに会い自分の思いのたけを語り、そして最後に自白した。

 

『エピローグ』

ラスコーリニコフは服役して、それを支えるようにソーニャは彼の元に通う。
そして遠い地でプリヘーリヤは無くなり、ドゥーニャとラズーミヒン結ばれる。